絶対に許せない事
昨日の東京 秋葉原の一件で亡くなったご遺族に哀悼の意を・・。
天寿をむかること、病にかかること、必死に生きようと努力をしても報われないこともあります。そして、自ら死を選ぶことも・・。また、交通事故に遭うこと、事件に巻き込まれることのように、第3者の過失により唐突に消えてなくなることもあります。ただ、第3者が故意に命を奪う権限は絶対にありません。
「自分の命と、どうやって向き合うか」今私たちができる唯一の自衛手段なのかもしれません。その想いを家族や大切な仲間と分ち合い、せめて自分が携わっている人々が幸せであること。そして、その輪がリンクして幾重にも重なり合うことが大切なのかもしれません。自衛手段となりますが、それは国力が病んでいるからだと思います。日本人であること、日本に住んでいること、その国に何を求めて、自分自身が何をするのか。男には尊厳を、女には愛を、子供には希望を、老人にはやすらぎを感じさせることが出来れば、国は魅力があるのだと感じます。その為には政治が重要で、その上で企業があり、人がいて、社会が生まれます。国力が豊かであることは必要条件だとは思いますが、充分ではありません。未来を感じられて生活する意義を意味することは結局の所「個人の価値観」だと考えます。
では、やり場のない怒りや憤りを感じることを何に向けるのか?それは日本が島国だからなのかもしれませんが、もっと諸外国を見習うべきなのではないでしょうか。生活する環境に馴染めなければ、見合う国を見つければいいでしょ。日本で働く外国人は大勢います。しかし、大手企業の出向以外で海外に生活環境を求める人は少ない。もっと、厳しい環境でも「生きること」に積極的な生活を営んでいる国は沢山あります。そんな環境に日本人はもっと触れるべきです。
毎日食事を食べれて、寝れる家がある。そして、欲しいモノを買って、自分時間を過ごすことができる。それは「豊かな」ことで、ただ「生きること」はもっと厳しい現実です。仕事があって、収入をもらい、部屋があって、欲しいモノが買えて、何が不満なのか!納得できなければ、自分だけで解決できる方法で自分の存在を無くせばいいだろうに、どうして第3者を巻き込む必要があるのだろうか。
誰だって、自分の存在価値に不安を抱きながら生活していると思います。でも、支えてくれる存在や支えてあげる存在が自分の居場所を与えてくれます。その繋がりを望まなければ、繋がるはずがありません。NEWで報じられること、新聞に書いてあることはすべて客観的であれ、他人の意見です。物事の本質は自分で感じるしかありません。そして、起こっている事実を認めなければいけないとも感じます。今の日本はアンバランスなのかもしれません。またあらゆる感情も中途半端なのかも。
「自分の命とどう向き合うか」そして「何ができるか」。とにかく、同じような事件が起こらないで下さい。
