« 第3期工事 基礎 | メイン | 建築の難しさ »

ジセイ

人と言う字は、支えてまた支えられているから人だと、TVで金八先生が言っていたような。支える事は強さが必要です。そして、はっきりとした意志もいる。で、支えられる事は相手を想う気持ちと有難うと言う感謝の言葉で成り立つ。その両方をバランスよく持ち合わせる人は、どんな雰囲気をもった人なのか?支える事に向いている人は、見た目もがっちりしていて、顔つきも精悍。支えられる事に向いてる人は、ほっそりしているか、ふっくらしているかのどちらかで、笑顔が優しい。イメージだけど、でもこの両方を重ね合わせるのは難しい。では、環境によってまたは状況によって、使い分けることは出来るのか?それは、ジセイすることから始まるのかもしれない。
今日、取引先とお会いして話しをする中でジセイすることについて考えてみた。自制とは、自ら制限することで常に余裕をもって対処する気持ちをもつこと。また、制限をもって考えや行動をすること。自分にとって、一番足らない事だと思う。広い視野を持ち合わせたいと感じながら、目先の事で精一杯で、ある程度きりがつかないと気持ちが次のことに向かっていない。だから、近くで起きている問題にさえも気づけないことがあるし、自分にとっての優先順位とたてまえばかり気にして、その為にうまく切り抜ける事を優先させている。また、自省とは、自ら省みて深く反省する。判断する側にいる事が多いので、常に正しいのかは正直解らない。ただ時間が経ったとき間違いに気づく、また気づかされるときに、その気持ちがなければ、人は相手に理解をしてもらうことができない。これがジセイすること。ついつい、こうして移転をして組織を造る過程において、自分が大きくなったように勘違いすることがある。結局、一歩の歩幅はかわらないし、そこを走るのか、歩くのかでスピードは変わる。このスピードは重要だけど、走れば景色はゆっくり見えないし、歩けば早く辿り着けない。
飾らずに、演じずにいられる時間が長ければ、自分でいられるのかな。自分自身の言葉と行動にしっかり向き合っていくこと、これはとても大切な事ですね。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://r749.com/mt/mt-tb.cgi/2244

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)