言語と常識
骨折したことで、歩くって普通の事が出来ないし、今まで出来た自動車の運転も出来ない。甘えている訳じゃないけど、今まで100の事をやれてたボクは、今回の骨折で50とか60位しか出来なくなった気がする。風呂も入れなかったし、片足で立てないから洗い物も出来ない。松葉杖だから手に物も持てない。そう考えると、車いす生活で4人の子供を大学まで進学させたアメリカの親父はすごい。
んで思ったのだ。常識って何だろう?って。
年だから。 みたいな自分への言い訳じゃん。
歩けないから。 っていうのは。歩けなくても出来る事はいくらでもあるじゃん。
常識なんてのはボクが勝手に作り上げた、思い込みな気がしてきた。
そして言語。
たとえばサーファーとの会話。サーファー同士なら理解し合える表現や感情て言うのがある。
バリであったオージーやアメリカン、ハワイアンのサーファーとサーフポイントの話をしたときの感激。世界の話が出来たこと。
トライアスリートとの会話。レースの事だけじゃなく練習の事や身体の使い方の話が出来る。
現にフランスのアワードパーティで話したオーストリアの警官と友達になって英語でトライアスロンの事を話した時の感動はやはり忘れられない。
ツールドフランス観戦時に知り合ったGeorge。彼は昨年6-7月のフランス/イタリアの後、中国。そして今ケニアに居るそうで。世界中を自転車での旅を続けている。自転車って言語を操って。彼の場合は物静かに世界を見て回る感じだけど。
口にする音だけが言語じゃないって事。伝える事が言語なんだと思う。
日本語だってその単語の捉え方が人それぞれ違うし、もっと曖昧に言葉を発している。漢字の意味だって知らずに使っている人も居る。
ボクもその一人だ。
なにが言いたいかて言うと、色々な言語と常識を理解していればなんにもびびることはないし、自分をしっかり持てるって思うって事。



