革のベルトを洗う、お手入れする。

もう何年目?になるんだろう、この革のベルト。色々な所に一緒に行ったベルト。多分6年目。

大分、ボクの汁で汚れてた。バックル部分も壊れて実は先日マーキー先輩に直してもらった所だった。

その時教えてもらった、革を水洗いする手入れ方法。

バケツに何時間か付けたり、中性洗剤であらったりして、染みこんだボクの汗を抜き出した。

んで日陰干しにして乾燥させ、完全に乾いたあとオイルを塗り込んだ。

ボク、パソコンみたいな消耗品はガシガシ買い換えるけど、こういう普遍?不変的な物って大事に使いたい方。スニーカーも10年近く持ってる物もある。デジタルみたいな薄っぺらい物(手に取ったときの実感が無い物)は、お手入れみたいな事が出来ないんだけど、シンプルであればあるほど、お手入れをする都度、その深みを増していく気がする。今回の革ベルトがそうだった。

新しい物が全て良いわけではなく、古くても味が有る物はすごく魅力的。

身の回りに有る物を大事にする気持ちと言うか、お手入れ、手当みたいな【手】を入れる行為の大事さ。

貧しかった時代はもう終わっている。大量生産大量消費の高度経済成長期は終わっている。

長い間大事に出来る事が、重要なんだと思う。思い出が語れるモノがあったって良いじゃんね。

ボクの夏休み/ひろきさんとけいごくん。

夏休みも押し迫った8月後半。友人のひろきさんとその息子さん、けいご君(小4)がスタンドアップパドルに挑戦した。

そりゃ、初めから長距離出来るわけないから、近所をちょこちょこやるんだけどね。

塩素が効いたプールでしか泳いだ経験が無いけいごくんは、浜名湖の水が口に入って【しおっからい!】って。水の中で目をあけた事も無かったみたいで。

刺激的な経験になったかなぁ?って思いながらw。

うん、海って海水が流れてるんだぜ。海水は汗みたいに塩辛くて、ミネラル豊富なんだぜw。

ボクが知っている自然について、みんなの理解が同じだと思ったら違う!って発見をボクはしたんだけどね。

こどもは純粋に経験したことの無い事は知らないのだ!しかも大人達が楽しそうにやってたら、興味を示すはずなんだ!ソレが鉄腕ダッシュみたいに楽しくて、TOKIOの人達みたいに格好良ければ、なおさらだ。

でね、実は先月FMとよはしの番組に出る前に、アナウンサーの飯田まきさんの取材を受けながらスタンドアップパドルボードの撮影なんかをしてたりもした。

更には湘南・鵠沼のサーフショップに勤務する浜松出身の斉藤真史君にも、先週末会って話したりして子供でも楽しめるマリンスポーツだよね〜て話したり。

波が無い鎌倉の材木座海岸でも大勢SUPを楽しむ人達が居た。

色々なスタイルで海や湖に、向き合うスタイル。特に浜名湖はそれに適していると思うんだ。

その環境を大いに活かした遊びを提案って感じで。

ひろきさんとけいごくんの【ボクの夏休み2010@浜名湖】

湘南オープンウォータースイミング2010/10kmの部

水色のパンツ、ボクね。一番後ろからスタートした。

骨折後216日、ちゃんとしたロングディスタンスレースになる。

いろいろな事、諸々の事で、わたわたでばたばたな8月。やらなきゃいけない事ばかりだけど、この遠泳大会も毎年自分に課せたイベントになってる。

数年前までは想像もつかない距離だと思ってた。でも少しずつ積み上げることで可能になった気がする。

でも今年初めの骨折。色々想定外の出来事。失った物も多いけど、そこから学んだことも多い。

今回のスポーツイベントもその一つだった。

【挑戦を楽しむ事】そんな感じ。だから別に一生懸命練習に取り組むわけでもなく、無意味に緊張するわけでも無く。とりあえず【完泳】。そこだけが目標だったスタート直前。

前日買ったばかりのゴーグルの紐が切れた。

まぁそんな事もあるよね。予備のゴーグルが用意されてる訳でも無く。まぁ裸眼で泳ぐことも覚悟した。

でも預けた荷物にアクセス出来て、なんとか予備で持ってたゴーグルを持って、一番後ろからのスタートになった。

いつもならフロントラインでガリガリ勝負だぜ、おらぁ!的な感じだったけど。

ボクの足はまだ折れてるまま。

そしてスタートを見守ってくれているGFに手を振りながらスタートのホーン。

始まりました、基地外沙汰(誤変換万歳)の10km水泳。ばったばたの水中プロレスをくぐり抜け、おそらく500mを越える頃には集団もばらけてた。

ボクはいつもみたいにがんばって!みたいな感じじゃなくて、自分の泳ぎをするだけだ。とりあえず完泳を目指すんだって考えながら姿勢だけを意識。

んで、3時間も何考えながら泳ごうかなって想いながら、同じぐらいのペースの泳者を探してた。

水泳は誰かの流れの後ろについて行けば、かなり楽ちん。※社会も一緒で誰かの後ろについて行くのはかなり楽ちん。

自転車も水泳も抵抗を減らすためにドラフティングするのだ。自動車で言うところのスリップストリームね。

そうやって姑息な手を使いながら、ひたすら完泳だけを目指す。速さや順位は今回は関係ないの。

目標は【制限時間内での完泳】だから。

どうだろ、4-5kmぐらいは良い集団に入れたから楽ちんだった。先頭は誰かが引っ張ってくれて、ボクは何も考えず、自分のフォームとピッチだけを気にして泳いでた。

この辺も社会や会社と一緒で、集団の中で持久力温存、スタミナの無駄遣いをせずに淡々と刻む。

5kmのエイドステーション。

RED BULLの秘密兵器を投入(日本未発売品)。そしていけなかったのが時間を聞いたこと。

なんと10時15分って言われた。5kmを75分で泳でた事が判明。余裕ぶっこいてしまった。

なんだ、出来るじゃん?←こう言う有頂天が一番いけない、仕事においてもそうなんだけど。

制限時間210分のレースの半分を75分で泳いだ事に満足してた。

そんでもって8kmまでが長かった。途中おしっこはしたいし、集団からもはぐれちゃう。単独泳のしんどい展開。

これも人生とダブる。上手く集団に属して泳ぐことがどんだけ楽か思い知らされる。

そこからボクの脳みそはいろいろな事を考え始めた。※どっちがよい、わるいじゃなくて自分の選んだ道を客観的に分析ね。

+++++

コースロープが張られて水温が調節された最高の施設のプールを泳ぐ人。(国立や私立最高級プール)

天井が破れた、管理がなかなか行き届かないプールを泳ぐ人。(中小企業?)

プールで泳ぐ事を選ばなかった、海で泳ぐ人。(なんもない個人事業。ボクじゃん!)

ゴールの方向やペース、設備に装備。気象状況や水質みたいな環境も。みんな今の社会に当てはめて考えてみたり。

ただ単に速くゴールを目指したいのであれば、泳がずにボート?とか陸を自動車で移動すればいい。

ただ単に完泳を目指すのであれば(制限時間がなかったとして)、ゆっくりのんびり行けばいい。

ただクラゲは出るわ、腹は減るわ、腕は痛くなるわ、口はしびれるわ。

色々起こるわけ。でも備えあれば憂いなし。みたいな感じでゴーグルだって予備を用意しておいたから助かったようなもの。練習もしっかりやってれば、すんなり泳げたはず。クラゲは運だね。口がしびれるのはまぁ毎度の事。みたいな感じで、色々人生を考えながら泳ぎ続けたの、ゴールに向かって。

一人でやれることは、もう大概やっちゃったしね。次挑戦出来るプレイで言えば、落命プレイぐらい。命をかけた挑戦ぐらいか。って想いながら。

あーなげー日記だな、これ。うざいね、ごめんなさい。ま、ボクの記憶のメモなので。

で、ゴールまであと1km。

成績や順位、タイムなんて別にクソ食らえ状態なので、完泳だけを目指した泳ぎ。

がんばらない、全く。やる気?全くない。ただ疲れた印象。ぐだぐだになってゴールになだれ込んだ印象。

そう、惰性でゴールした、時間内で。

達成感はあるけど、贅沢言えば、しっかり最後まで泳ぎ切れた方が良かったと思う。

まぁ、たまにはこういうこともあるよね。足も痛いし。

まだくっついていない足を引きずりながらゴール。ありがとうございました。炎天下運営に携わった皆さん。おかげで無事レースを終了できました。

ありがとうございました、GFさん。君がいてくれたおかげで最後までとりあえず泳げました、腐らず。

ちなみにボクのそばには60歳以上の方も何人かいました。去年も書いたんだけどね、同じようなこと

2007年から数えて3回目になるこの10kmのレース。来年も泳げると良いんだけどねー。

郵便ポストが無くなる。

良くも悪くも効率化やコスト削減が叫ばれる昨今。

民営化が良かったのか、悪かったのか。民主主義の国で国民が選んだのは郵政民営化だった2000年前半。

まぁ自由競争の市場原理主義の結果がこれだと思う。

ボクの家の近所にあったポストが消えた日。

正直ショックだった。

要するに、民営化した郵便事業は、儲けの出ない地域の切り捨てに入る。

きっとそうなんだろうなと思った。

ボクみたいに地方を元気付けたり、活性化したいなんて想いがあったとしても郵便物が着発送が出来ない地域じゃ…。

経済活動なんて認められないって事か?(大爆笑)

ま、何でもかんでもデジタル化が良いわけではないことは、この日記でも書いている事なんだけど。

お手紙や言葉で伝えられる事もあるじゃん。

どんな社会でも時代でもバランスが重要で、ワビやサビを、粋に使いこなすのが日本だと思っていたけど。

コンサバティブとリベラルのどっちも使いこなせれば、時代の荒波は乗り越えられるはず!って想いながら手にした郵便物をスキャンしてEmailで送信した。

昔の写真。

結婚式のスライドショー用に写真を探していた際に出てきた、16歳(1991年バージニア州バージニアビーチ)の時のアメリカ史のクラスの様子。

さすが東海岸のベッドタウンだけあって、色々な人種の人達が居た事を思い出した。

先生はめっちゃ元気の良いイギリス系。

このクラスで一番仲が良かったのは、後ろの方でおとなしめのドイツ系のMark。

アジア系の子も赤い帽子のブラックの子も居た。ブラックの彼はオリエンタルのボクにすごくフレンドリーで美術の授業も一緒でさ。ちょっとオタクでアニメ(恐らくジャパニーズアニメ)が大好きで、AKIRAの事とか漫画本を貸したり、日本語の音楽CDの貸し借りもしてた。

色々な宗教の人が居て、色々な人種の人が居て、色々な考え方の人が居て、色々な価値観の人が居る。

個々を尊重しあう社会が、そこにはあったと思う。

基本的にはみんな3世代前にアメリカに移民してきた人達。ルーツはそれぞれ違う。当時はキューバ難民の人も居れば、ベトナム戦争難民もいたし、勿論原住民のインディアンの子も居た。

しかも歴史の授業。

日本人のボクは、近代日本史なんて全然興味無かったのに色々質問される。

戦争の時はどうだった?今の日本は誰がリーダーなの?武士の親戚は居るの?一騎は将来ちょんまげにするの?

みたいな高度なレベルから、普通の日本人にしてみれば、はぁ?ってレベルの質問まで。

そう言う事に答えられない自分がすごい無知で自分自身の事を言えない人って感じてた。

だから今、せめて自分の生まれた街のことや育った環境の事、歴史や文化をちゃんと言えるようになりたいって思ったんだと思う。

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初めてアメリカの高校に行ったときは、言葉も通じず、友達も全く居ず、寂しくて結構泣いてた。今みたいにメールも無いし。日本に住む同級生に手紙や、音声を入れたテープの行き来もあった。友達んちに寂しくてコレクトコールしたときもあった。随分めそめそしてたときもあったけど。その頃、色々支えてくれてた友達をfacebookで見付ける事も増えた。うん。一度可能ならみんなに会いたいわ。それか日本まで遊びに来てちょうだいっ♪